にんにん日和

アラサーオタクによる不妊症〜妊娠〜切迫早産〜出産〜育児についての体験談ブログです

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)なのにマトモな不妊治療を受けられない話

「妊活」という言葉が浸透しはじめた現代でも、
不妊治療をするには
まだまだ様々な壁があります。

今回は、私が実際にぶち当たった
不妊治療の障壁について書いていきます。

いま同じように悩んでいる方にとって
少しでも希望になれば嬉しいです。

不妊症の前兆

なんとなく「私、排卵してないかも?」と思ったのは
高校生の時。

受験勉強や部活でゴタゴタがあった時に
生理が6~10か月来ない
なんてことが何度かありました。

ただ、この時は妊娠など遠い未来のことだと思っていたので、
「生理がこなくて楽ちん♪」なんて能天気に考えていたのです…

不妊症の確定

社会人2年目になったころ、
23歳になった私は、結婚することになりました。

その時になってようやく「無排卵症」について
急に不安になり、検査のために婦人科を受診!


結果は…


多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)
でした…(´;ω;`)



原因がズラっと書かれた紙を渡され、
「今、なにかストレスを抱えていますか?」と
医師に尋ねられ、色々と心当たりがありすぎるにんにん。

その時は特に、
朝4時~5時に起きて
深夜1時~2時に帰宅
家でも仕事の調べ物を1~2時間…
ほとんど睡眠をとれず、
トイレも1日1回しか行けない時もあるし、
昼ごはんは基本抜きだし、
労災も起こし、
顧客から毎日責め立てられる…

そんな社畜のような日々を送っていたのです。

そりゃもう
ストレス溜まりまくり!!!!

体がおかしくならないハズがないでしょ…
案の定の結果ではありましたが、

やはりショックを受ける結果となりました。

■マトモな不妊治療を受けられない現実

不幸中の幸いということで、
比較的若いうちに不妊症であることがわかったにんにん。

生理周期も体温周期もバラバラでアテにならないので、
まずは
排卵誘発剤と漢方を使った治療
がはじまりました。

けれど
2年、3年と続けても効果なし。

自分よりあとに結婚した友人が
次々と妊娠・出産していく焦り。

「あれ?こどもは?」
「結婚何年目だっけ?」
「ちゃんと子作りしてる?」
「旦那さん、弱そうだもんね」
「いいなあ、子どもがいないと自由で」
「太ってるから排卵できないんじゃないの?」
「今日も子作りしてるかもと思って電話やめといたよ笑」

勤務先、帰省先、友人の結婚式にて投げかけられる、
デリカシーのない言葉たち。

元気な時はスルーできるそんな言葉も、
心も体も弱り切っていた当時はすべてが突き刺さり…
自分を責め続けた私は、毎日トイレでハナを垂らしながら泣きました。


このままじゃ精神がもたない


いよいよ、まずいと思いました。
主治医も
「これ以上は人工授精になる」
と、本格的な治療ができる専門の不妊治療クリニックを
いくつか紹介してくれました。

しかし…
そういったクリニックは
(1)平日午前、午後かかわらず来院できること
(2)夫婦そろって週に3回程度来院すること
(3)治療費は最低100万円

という条件つきでした。

夫も、私と同じくほとんど休みのない仕事。
そんなに頻繁に通院できるはずがありません。

そして治療のために仕事をやめれば、
今度は治療費を払えなくなる…

まさに、八方塞がりでした。

不妊治療難民の辛い境遇

私は実の両親や兄弟とはウマが合わず、
不妊について相談しても
余計に胸が重くなる言葉
しかもらえませんでした。
(しかも本人たちは善意で言っているので、責められない)

また、なんでも話せる友人は当時「結婚できない」という悩みを抱えていて、
「妊娠できない悩みはいくらでも聞くけど、私は結婚すらできてないから…」
と悲しそうな顔をさせてしまったので、
それ以降「妊娠」についての悩みは
あまり深く話せなくなっていました。

さらに頼みの綱である夫は
排卵がいつなのかハッキリ教えてもらえないと俺には何もできない」
と言うのです。

それが!!!
わかったら!!!!
苦労せんわ!!!!!!!

夫のことが大好きな私も
この時ばかりは
本気で怒りに震えました。

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)がどういうものなのかも10回以上説明しましたし、
私のお金を毎月8,000円かけて排卵検査薬を使っていることを伝えています。

どうしても
排卵のタイミングがわからないから
少なくとも3日に一度はタイミングをとってもらうしかないのです。

しかし、
夫は前述のセリフを吐くばかりで
タイミングの頻度を増やすことに消極的でした。

そして、妊活の話をすると決まって不機嫌になり
「すべて私が不妊症だったのがいけないんです、ポンコツでごめんなさいごめんなさい」
と私が泣くまで機嫌は直りませんでした。


夫がこんな状態では
できるもんもできません。

(おそらく夫も色々なプレッシャーやもどかしさがあったんだと、今ならわかりますが)


夫には頼れない。
誰にも相談もできないし、弱音も吐けない。

それが、さらに私の心を潰していきました…

不妊症患者の心の限界

その時は、来るべくしてきました。
ある日の夜、私はまた夫に泣きながら謝っていました。

いつもなら
「俺が悪かった、周りは気にせず、俺たちのペースでいいじゃないか」と夫が言って
私も泣き終えるはずでした。


でもその日は
どうしても涙を止められませんでした。


パニックになり、
涙と鼻水で顔面を汚しながら過呼吸になり、
さらにパニックになって、

私は、
私の首を絞めました。


私は私自身を責めるあまり

私が死ねば、夫はちゃんとした体の女性と再婚できる
ポンコツじゃない女性と幸せになれる

そんなことを考えるようになっていました。

今思えば
多分 一種の精神疾患を患っているような状態でした。


そんな私を見て
夫は

「もう、不妊治療は全部やめよう」
と言いました。

「子どもができなかったら、その分たくさん旅行しよう」
「子どもがいなくても、家族であることには変わりない」

その言葉に
私はすがりつきました。

その日は「疲れた」「もういやだ」を
一生分繰り返し言いました。

完全に、心が限界を迎えていました。


不妊治療をやめたその後

排卵誘発剤
漢方も
体温管理も
排卵検査薬も
通院も
人工授精の検討も
すべてやめました。

もちろん、すぐに気持ちが楽になるわけではありません。
そこで、2つのことをしました。

(1)避けていた子持ちの友人に「辛い」と本音を話す

吹っ切れるために弱音を吐き出すつもりだったのですが、
思いがけず、素晴らしい助言をもらえました。

友人が通っていた産婦人科の院長先生の
「子作りがうまくいかない夫婦は考えすぎる人が多い」
「何も考えていない人ほどすぐ子どもができる」
「何も考えるな、獣になれ」
という言葉でした。

正直、笑っちゃうような言い回しです。
でもその時の私にとって、パッと目の前が開けるような言葉でした。

私は無意識のうちに考えすぎて、
身動きが取れなくなっていたんだなぁと、ようやく自覚しました。


(2)神頼み

私の住む愛知県に、子授かりで有名な神社がありました。
豊臣秀吉のお母さんが参拝して、妊娠できたという逸話がある神社です。

眉唾な話ですが
なんとなく惹かれるものがあって、
電車を乗り継ぎ、夫と二人で参拝しました。

その時に、引いたおみくじの和歌に
「春に願いが叶う」と書いてあり、
春まではのんびりしよう、と二人で話しました。


■転機

中途半端なまま2年半続けていた不妊治療をやめて、2か月が過ぎたある朝。

全身がダルくて、なんとなく変な感じがしました。
まさか、と思い
買いだめてあった妊娠検査薬を使ってみると…

2本の
濃いラインが!

居ても立っても居られず、産婦人科へ。

そして無事、妊娠を確認できました!

たまたまかもしれないけど、
出産予定日は4月上旬…
そう、おみくじのとおり「春」でした。



何が良かったのか?


実際のところは、だれにもわかりません。
でも、私の場合は「不妊治療」によって
余計にストレスがたまり、不妊症が悪化していたように思います。

そのストレスを
不妊治療の中止
・「獣になれ」という助言
・神社の参拝

で少しほぐせたのが良かったのではないでしょうか。

無責任だとは思いますが、
もし同じように「不妊治療」で追い詰められている方が
この記事をご覧になっていたら、
少しだけでいいので

ご自身を 許してあげてほしいです

誰が悪いわけでもないし、
妊娠できたからエラいわけでもないし、
ましてや
不妊だからって誰かに何か言われる筋合いはありません。

一番責めてくるのは自分自身なので
他の人の責める声まで
聞く必要はないと思います。


これはもちろん、
結果的に妊娠したから言えることかもしれません。

でも、
不妊治療をやめた途端に妊娠した、という話を
周りだけでも3件聞きました。
母数が少ないですが、私だけ、という話ではないようです。

どうしても苦しくて仕方がないなら
少しだけ 心を休めてあげるのも
必要かもしれません。


真っ暗で
未来も希望も見失った方が
ひとりでも楽になれますように。